モンテッソーリ教育ってなに?〜生命が育つ邪魔をしない教育〜

これまで、このブログでも細切れながらもモンテッソーリ教育のことを書いてきたために、

「それで結局、モンテッソーリとシュタイナーってどう違うの?」
「モンテッソーリ教育って一言で言うと、どんなもの?」

というような質問も何度か受けました。

私も現在勉強中の身で、決して専門家ではないので、モンテッソーリを深く語ることはできません。
そこで今回、船の上で深津高子さんが行った講演「モンテッソーリ教育ってなに?」を書き起こしてみました。

少し長いですが、子育て中の人たちは必見です。
この春に出たクレヨンハウスの「クーヨン」増刊号「 モンテッソーリの子育て 」とあわせて読めば、なおヨシ。
きっと、「ナルホド!」の連続で、今日から家で実践できることだらけだと思います。

モンテッソーリ教育を一言で表現するならば?

高子さんは、「モンテッソーリ教育とは、生命の発達の邪魔をしない教育です」と言います。
生命の邪魔をしない教育、とはどんなものなのか、以下、ぜひご一読ください。

以下、高子さんの講演録です。

「生命の発達の邪魔をしない教育」って変な名前ですね。
でも、私はそれがモンテッソーリ教育を一言で言い当てている表現ではないかと思っています。

「自然からの宿題」は、夏休みの宿題とは違います。
ハイハイするのも、つかまりだちをするのも、歩くことも、開始時期は子どもそれぞれに違います。
赤ちゃんに向かって「何日までに歩こうね」というのはできません。

この赤ちゃんの親指は、それまで他の指と一緒に動いていたのですが、
あるときから親指だけが離れて(分化)地面を蹴って進もうとしています。
そんなとき、分厚い靴下をはいていたらどうでしょう?ふかふかの絨毯の上にいたらどうでしょう?
せっかくハイハイしようという自然からの宿題を邪魔してしまっている。

命の邪魔をしない援助とは、たとえばこの場合なら、赤ちゃんを素足にして、
畳の上や床においてあげることではないかなと思います。

私が所属している国際モンテッソーリ協会は、チューリップの名産地、オランダのアムステルダムにあります。
私は行くたびに必ずチューリップの球根を買って帰ります。

そのときに気がついたこと。
球根は色が混ざっているので、「これは○色の花が咲くだろう」とか「3月中に咲くはず」と予測はできません。
人間もそれと同じで、「将来医者になるはず」とか「プロの野球選手になるだろう」とは誰にもわかりません。

こんな風に子どもの育ちを大人の思う通りにさせたり、せかしたりすることは、
まるで球根にむかって、ピンクの水をやってピンクの花に咲けといって操作するようなことと同じです。
早く育てといって、根もきちんと生えていないのに、茎をひっぱったりしてしまうのと同じこと。

まずは、よく観察することが大切です。
まずは根っこの生え方、そのあと茎が伸びることを見て、植えるには地面からどのくらいの深さに、
どのくらいの間隔で植えてやったらいいのかなどを知ることが大切です。

命を観察するという謙虚な姿勢が育ちの援助には不可欠です。
農薬や化学肥料もやめるという農家が増えてきました。そういう人はまず生命を観察しなくてはいけない。
そうそう、無農薬、無肥料でリンゴを育てた青森県の木村秋則さんの「リンゴが教えてくれたこと」はお勧めの本です。
農薬を使わなければ育たないとされてきたリンゴを、じっくりと観察して、リンゴの生命の法則に寄り添うことで、
ようやくおいしいリンゴを育てるにまでに至った木村さん。生命を観察しなければ手伝いかたもわからない、
それは植物も人間も一緒です。

生命には、向かう方向があります。
これは、私がいつも通っている道にある貧弱な植物です。
建物が建て替えになる度に、日陰になったり、明るくなったり繰り返される度に、このような形に育ちました。
とにかく植物は何があっても方向性を失わず、太陽にむかって生きていきます。すごい生命力です。

種の中には既に厳格な発達の計画があるのです。
この葉っぱが左右対称に育つように誰が計画したのでしょうか。
小さな命のなかにすべてプログラムされている。それは私たちが外から見ても、わかりようがない生命の秘密です。

子どもも同じです。
大人は子どもに対して、素敵な看護士になってほしいとか、優しい子になってほしいとか、いろいろな希望を持ちます。
では、どういう風に育てていけばその子がいきいきと、その子らしく生きていけるのでしょうか。

生命は成長に応じて必要とするものが変わります。
もし人間にいつまでもおっぱいが必要であれば、大人になってもおっぱいを吸っているはずですが、
そんな人は見たことがありません。発達に応じて、私たちも食べる物も変化していきます。

たとえばカエルの場合、卵→おたまじゃくし→カエルと姿を変えていき、そのたびに必要な環境が変わります。
卵のとき、このゼリー状の中には、水分や栄養分など、卵が成長発達するのに必要なものがすべて用意されています。
だから外にでる必要はありません。しかし、おたまじゃくしになると、自分で泳いでえさをとりにいかなければなりません。

もうゼリー状の状態では生きていくことができません。
自分で尾を使い、後ろ足をつかって泳いでいき、藻を食べて大きくなっていきます。
更にカエルになると、水辺と陸と両方が必要です。泳いだり、ジャンプして小さな虫を捕って大きくなります。
しかし早く育ってほしいからといって卵を水辺に出しても、生命はとまってしまうだけですね。

生命には段階があって、それぞれに必要な環境があります。
ちょうどいい環境にいるえんどう豆は鮮やかな緑色です。一方、こちらは次の段階が必要な生命。
豆から芽がでているし、さやが黄土色になっています。もっと早く気づいて土に植えてあげればよかったですね。
もっとかわいそうなのは、根っこをくるくると巻いているものがありました。

本当ならタイムリーに次の段階に移行させてあげればよかった生命。
今から植えても育ちますが、タイムリーに植えてもらったものに比べて、フルに成長はできません。

人間の子どもたちも同じです。
こうして観察すると、子どもの本来もっている可能性を花開かせるお手伝いがしてあげられるのではないかと思います。

赤ちゃんを観察して環境を変えることが大切です。
1~3ヶ月の赤ちゃんは、動かず、じーっと天井を見ているだけです。
視覚はあるけれど、まだ色を識別しないこのころの赤ちゃんには、コントラストのはっきりした白か黒のモビールがいい。
赤ちゃんの顔から30センチくらいの場所に下げてみてください。
(いろいろな幾何図形のもの:イタリアのデザイナー、ブルーノ・ムナーリのモビール)

赤ちゃんはこれをじーっと眺めるでしょう。
そのうち、斜め横におくとそのうちそちらへ体をそらすようになります。
こんなことも寝返りにつながります。

生後3ヶ月よりもう少したつと、赤ちゃんの足があがってきます。キックできるようになるのです。
この時期、たとえば鈴にリボンをつけて天井からつるしておくと、赤ちゃんがそれを蹴って音を出すことができます。
もうモビールを見ているだけではつまらない時期です。自分で環境を変えたいこの時期、音をならしてご機嫌です(写真上)。

その次は手が出てきます。
この時期、触っても壊れない丈夫なモビールに変えるといいでしょう。
もっと赤ちゃんに寄せて、赤ちゃんが握れるようにしておきます。握りやすい、細いリングをリボンでつるすのもいいですね。

さらに次は、握ったものを口にもっていくようになるので、口に入れても大丈夫なものにします。
赤ちゃんが自分でつかんで口に持っていけるように、天井から短いゴムで吊るし、その先にリボンをつなげておきます。

このように、まだ歩かない赤ちゃんだけをみても、その時期に合わせておもちゃを変えることで
赤ちゃんはその時の「自然からの宿題」をこなせ、生き生きと過ごすことができます。
これらはすべてモンテッソーリ博士が赤ちゃんを見て発見したことです。

では、マリア・モンテッソーリさんはどんな人だったのでしょうか。

彼女は、イタリアで初の女性医師。
昔は超音波やエコーなど便利な医療機械が無かったので、患者さんを触診、観察して病状をみるということをしました。
ですから、彼女は観察ということを重要視します。モンテッソーリ教師になるトレーニングは観察をすることからはじまります。

マリア・モンテッソーリはムッソリーニの時代に生きていました。
一人ひとりの個性をもっと大事にしようという教育でしたので、全体主義の時代には徹底的に弾圧されました。
それでも屈せず自分の教育を貫き、教師養成を継続し、ノーベル平和賞にも3回ノミネートされました。

そんなモンテッソーリ博士ですが、子どもを観察しているうちに
世界中の子どもたちに共通した育ちの道筋があることがわかってきました。
世界中、どんな子どももハイハイして、つかまり立ち、立ったあとは歩き出します。その逆がありません。

このように、人間にはある一定の普遍的な成長の法則があることに気づいたのです。
それを邪魔しないことが大人の役割であると。
そうすることで子どもが安定し、素直になったり、思いやりをもって育つようになっていくことに気づきました。

モンテッソーリは1907年、イタリア、ローマのスラムで試験的に「子どもの家」をスタートさせました。
両親の仕事である建設現場でほったらかしにされている子どもたちをクラスに受け入れました。
それが、そのあとの「子どもの家」の基盤となりました。

それから100年たった2010年現在、モンテッソーリ教育は世界6大陸に普及しています。
2007年がちょうど100年祭でした。KLMがマリア・モンテッソーリ号と飛行機に書いたほど、世界中で祝福されていました。

オランダといえば、「アンネの日記」の著者、アンネも子どもの家に通っていました。
今でもアムステルダムに行くと、アンネ・フランク・モンテッソーリ・スクールが残っています。
アンネは文字がすごく好きで、小さな頃から興味を持ちました。

そう、モンテッソーリ教育では、子どもが好きなときに文字を書かせます。小学校まで待てということはしません。
文字も数も、興味のわく時期は子どもによって違います。
まだ字に興味をもっていない子、もっと早くから興味を持つ子、それぞれのペースを尊重します。

アンネが隠れ家での辛い生活でも、日記を書く意欲を持ち続けたのは、
小さな頃から文章で自己表現する楽しさを知っていたからかもしれません。
確かに彼女の身体は抑留されていましたが、彼女の精神は自由であったのかも知れません。

モンテッソーリ教育をうけた著名人を他にも紹介すると、グーグルの創始者。アメリカのオバマ大統領。
アマゾンの創始者。ウィキペディアの創始者。ワシントンポストの経営者。料理研究家のジュリア・チャイルド。
それに‘90年にリオの環境サミットで各国首脳を前に「6分間の伝説のスピーチ」をした12歳の少女、
セヴァン・スズキ。

さて、先ほどのカエルのように、人間にも発達の段階があります。

人間の発達の4段階(1950年版)をみてください。
乳幼児期(0-6)→児童期(6-12)→思春期(12-18)→成年期(18-24)です。

乳幼児期と思春期の段階は、変化が著しいという意味でとてもよく似ています。
児童期と青年期も比較的穏やかで似ています。

乳幼児期の段階では何もできなかった羊水の中の状態から、誕生後、這いまわり、立ち、歩くにまでいたります。
この世界はどうなっているのだろう、と全身で探る段階で、自分のいる環境をスポンジのように吸収していきます。

思春期の段階もまた同じです。

この時期は身体的にも、女の子はホルモンの分泌が旺盛になり生理がはじまったり、
男の子はひげがはえたり、声が変わったりします。乳幼児期の段階と同じように、
「一体この世界はどうなっているのだろう」と社会を探求します。
モンテッソーリは「社会的新生児」と呼びました。

乳幼児期・思春期に比べて、児童期・成年期の段階は大きな病気もなく、比較的安定しています。
児童期の段階では乳幼児期のとき、成年期の段階では思春期の時期にものすごい勢いで吸収したものを
定着させます。

この発達の段階を、もう少し丁寧に見ていきましょう。

0-3歳。
赤ちゃんから、歩きはじめてしゃべりだします。
この時期はいいことも悪いこともとにかく何でも全部吸収する時期です。

「平和は子どもからはじまる」の講演でもお話したように、
暴力がある環境、乱暴な大人がまわりにいる状態で育った子どもは表情まで変わります。

また世界中の子どもが、その環境に住むだけで自分の母国語を学ぶことができます。
これは、この時期の子どもたちに環境をスポンジのように吸収する力、吸収する精神があるからです。
ゆっくりと目をみて話しかけたり、この時期に関わる大人がいかに大切かがわかるでしょう。
子どもたちの中に自我が育ち、自己中心の時期を迎えます。
世界は自分を中心に回っているのです。

ですから3才未満の子どもに向かって無理に「仲良くしなさい」とか、
「ごめんなさいと言いなさい」と言っても意味がわからないのはそのせいです。

3-6歳。
環境を無意識ではなく、もう少し意識的に吸収していく時期です。
自分で●●が知りたいから、▼▼を学ぼう、という作業を選べるようになります。
この時期に大切なのことは、テレビや画像ではなく、「現実」です。
触って、なめて、聞いて、匂う、原体験。

ますます世の中がファストになる現代社会は、なんでもボタンひとつで操作できる時代でが、
こんな時代だからこそ、子どもにもっといろいろなものを触らせて体験させてあげてください。

「砂漠ってなぁに?」と6才がきいたとしましょう。
砂漠に行ったことがなくても、砂漠までつれていかなければそれが何かわからないということはありません。
小さな子どもは自分の知っている現実を土台に生きていかなければなりませんが、
原体験を重ねるというのは将来のイマジネーションの幅を広げることになります。

7歳の子にに聞かれれば「砂って知ってる?」「じゃあ、熱くなった砂って、わかる?」
「それがひろーい場所にあるのが砂漠だよ」と答えます。するとその子は今までの体験を
頭の中で組み合わせて、ちゃんと想像力を使って理解することができます。
ですから6歳までは、たくさんの現実と原体験に出会うことが大切です。

現実の世界では、熊さんはエプロンをつけてスープを運んできません。ひまわりの花には目や口はありません。
世の中にあふれているこういったデフォルメは、子どもをバカにしているとしか言えません。
子どもはせっかく地球の上に生まれてきて、どうやって生きていこうかと必死で探っているのに、
わざわざ嘘を教える必要はありません。

おとぎ話や童話、そしてどうしてもエプロンをつけた熊さんを見せたければ、もっと後、
現実とイマジネーションの境界が理解できるようになった5,6才になってから与えたいものです。
人生の最初からそういう絵は見せません。

0-6歳で特に大事なことは「秩序」です。
秩序というと堅苦しい感じがしますが、子どもは秩序が大好きです。
いつも同じ場所にゴミ箱があることを喜んだり、パパがいつも同じ場所に座ることを喜びます。
誰かお客さんがいらっしゃったときに「そこはダメ!パパの椅子だから!」と怒ったりしますが、
それはなにも意地悪をしているのではなく、子どもの中で整理のファイルをつくっている途中である
というだけです。

毎日することの順番や散歩のコースをコロコロ変えられたら嫌な時期です。
これは、同じことを繰り返し体験することで整理されていきます。
「もういっかい」と何度もせがまれることもありますが、その繰り返しに、愛情をかけてやることがとても重要です。

6-12歳。
お母さんお父さんよりも、友達が重要になってくる時期です。
興味がどんどん外の世界に向いて、グループで行動することを喜びます。
小学生になる頃からもうひとつ増えるのは、「どうして」という言葉。
地球上で起きているあらゆることに「?」という質問がたくさんでてくる時期です。
「どうして温暖化でホッキョクグマは困っているの?」など、大人がドキっとするような視点も豊富です。

また、イマジネーションが旺盛なので、過去にも未来にも想いを馳せることができます。
あらゆることに興味をもち、「いいこと」「悪いこと」、公平であることにも敏感になります。
「●●くんの家はいいのに、どうしてうちはダメなの?」など、どんどん親に対してチャレンジしてきます。

モンテッソーリの小学校は、残念ながら日本にはまだ正式に認められたところはありません。
今回のピースボートのクルーズでもノルウェーで訪れますが、
世界にはたくさんのモンテッソーリ小学校があります。

机の並べ方ひとつとっても、皆が黒板にむかって一列に座るのではなく、
グループで話し合えるようにしてあります。
先生や教科書の教えてくれることでは足りない子どもたちが多く、自分たちで調べ物をできるよう、
教室に電話がおいてあります。それを使って博物館のスタッフと自分たちでアポを取り、
行き方を自分たちで調べ、交通費やかかる時間を計算して外に学びにいく
「ゴーイングアウト」というプログラムがあります。

12-18歳。
中学・高校の時期ですね。思春期にさしかかり、危険で難しい時期と言われます。
体の中はエネルギーに満ちていて、それがいいほうにも悪いほうにもいきます。
社会の中での自分の役割を模索している時期ですから、ひとたび自分の役割がみつかれば
すばらしい力を発揮します。

先ほど紹介した12歳の少女、セヴァンもそのパワーに満ちあふれていて、
環境会議で世界のリーダーたちに向かって「直し方がわからない地球をこれ以上壊すのはやめて」
と訴えました。

そんな風にすべてがパワーに満ちあふれたこの時期、子どもたちが一番嫌なのは友達に嫌われることです。
自分の中でも整理がつかないことばかりで、精神的に不安定です。
「この地球で自分に何ができるのだろう」と考えることが増えます。

モンテッソーリはこの時期は親から離して、寄宿舎で仲間とともに育つが一番ですと言いました。
友達がとても大事な時期なので、勉強だけよりも畑を耕し、自分たちで育てた野菜で料理をして、
残りは市場で売って、そのお金で種をまた買う。マイクロエコノミーとして、お金のことを体験から学びます。

メキシコのモンテッソーリ高校を訪れたとき、すばらしく穏やかな目をした子どもたちに出会いました。
そこでは子どもたちが隣の先住民の文化を支えようと、彼らの手工芸品をインターネットで
フェアトレード販売していました。

18-24歳になると、就職、または大学や専門学校に行きます。
またピースボート乗って世界一周したり、ボランティアをする子どももいます。
自分は何が得意で何が不得意かわかってきます。その把握によってそれぞれの道を選ぶのがこの時期です。
それぞれに行動をおこしていきます。

モンテッソーリは、ここまでの育ちかたが自分にあっていた子どもたちなら、
ある意味、もうほっておいても大丈夫な時期だと言いました。

1951年にモンテッソーリが描いた、球根のようなグラフ。これは、子どもの吸収力を表したものです。
3歳までが爆発的で、6歳までに一度落ち着いて、思春期でもう一度ふくらみを持っています。

ところが、この表の下の部分を見てください。こちらが、これまでの旧教育のグラフです。
年をとるほど、学びの援助の矢印が増えています。
モンテッソーリは、これはむしろ逆であるべきではないかと言っています。

0-6歳が本当に育ちにあった環境であれば、
12-18歳は自然と、社会に貢献するようないいパワーに満ち溢れます。
ところが逆に、0-6歳の時期に自己構築ができない環境で育つと、
12歳から18歳の時期もフラストレーションがたまり、
自分自身や家族、また社会に対して対抗してくる子どもの姿も見られます。

植物と同じように、子どもにも年齢と育ちにあわせた環境があります。
モンテッソーリの環境は大きく以下のようにわけられていて、
準備のできた子から新しい環境にうつっていきます。

「ニド」: 0歳から歩きはじめるまで
「インファント・コミュニティー」: しっかり歩く~2歳半くらいまで。準備ができた子から「子どもの家」に移動。
「子どもの家」: 2歳半~6歳
「小学校」: 6-12歳
「アードキンダー」: 中学校、「大地の子」という意味。その後、高校へとうつります。

上記の中でも、今日は特に、子どもの家の特徴をお話しようと思います。

▼続き: 「子どもの家」って、どんな場所?

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