ベネズエラ寄港:子どもシモン財団訪問

南米初の寄港地は、ベネズエラの港町、ラグアイラ。
港に到着して、デッキに出てみると船内の過ごしやすい気温とは違い、日向にいると立っているだけで汗が流れ出てきました。

今日は体力のいる一日になりそうです。
朝早い入港だったにもかかわらず、港では子どもたちが歌で大歓迎をしてくれていました!

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ピースボートの子どもたちがこの日参加したツアーは午後に出発だったので、午前中は船で、これから出会う子どもたちへのプレゼント用に折り紙を折ったり、交流時間に披露するための「パンダがいっぱい」のダンスリハーサルをして過ごしました。

交流時間にダンスを踊ってほしいという現地からのリクエストが前日に届き、どうしようかと話し合っていたところ、「いい踊りがある」と大人たちにもレッスンをしてくれたのは、5歳のわこちゃんでした。

さすが、たくさんの人に出会いながら地球を2/3周してきただけあり、国際交流も慣れたものです!

「子どもは、ひとりずつ自己紹介があったほうがいいよね」

という提案の子どもたちから出てきて、みんな、ステージに立つ準備はばっちりです。
子どもたちにとって、寄港地でのおでかけは「遠足」のような気持ちなのでしょう。

出発前、ダンスの練習の休憩をしながらおやつを食べましたが、どこにそんなに入っているのかと思うくらい、おやつがあとからあとから出てきます。

おやつを忘れてしまった子もお友達に分けてもらい、みんなで大満足。
さぁ、終わりのないおやつタイム(笑)に区切りをつけて、そろそろ出発です!

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バスに乗り、海沿いを30分程走ると、訪問先の「子どもシモン財団」の建物が見えてきました。

治安が良くないという話も聞いていましたが、ここまでの町並みの雰囲気はとても落ちついていて、海沿いには新しい海水浴場のような建物や、ガラス張りの真新しい建物も見えました。

到着すると、とてもかわいく飾られた壁!

ここ、子どもシモン財団は、日中、子どもたちを受け入れ、妊婦さんや問題を抱えたお母さんの相談を受け、医療ケアなども施す、地域のみんなのよりどころでした。

大人達がみんな驚いたのは、ベネズエラでは医療費がすべて無料であるということ。

「バリオ」と呼ばれるスラム

「バリオ」と呼ばれるスラム

世界第4位の石油輸出国である富裕国ベネズエラで、国民の8割(1900万人)が貧困層、失業率は15%。
全家庭の半分は日常的に飲料水の供給がなく、150万人が文字を読むことができない――
これが、1998年、チャベス政権が誕生する直前の国民の生活状態でした。

それが、ここ10年ほど、政府が教育と医療に多額の投資をして、数万人のボランティア医師、10万人以上のボランティア教師をベネズエラ中に、とくに貧困地域に派遣するようになり、状況が劇的に変化したのだそうです。

労働者と農民たちがほとんど、あるいはまったく保健医療を受けられなかったベネズエラ中の労働者街と農村地区で、今、無料の地域クリニックが展開されています。

今回はその医療システムについて説明を受けましたが、これまで教育を受けることができなかった人に対する無料の識字教育や、高校卒業資格を得るためのプログラムも、1000万人以上の規模で広がっているのだそうです。

「ベネズエラのすごいところは、子どもから老人まで、医療と教育がすべて無料で受けられるし、人種差別もまったくないことです」という説明に「へえ~」「すごいね」という声がもれました。

ベネズエラについてメディアで聞き知るイメージは「治安が悪い」だったけれど、実際に訪れて見聞&交流することでベネズエラに惚れ込んでしまう人はたくさんいたようでした。

たくさんの情報にインターネット経由でアクセスできる時代だからこそ、自分の足で現地を訪ねる経験を重ねたいですね。

ちなみに、医療費が無料というのは海外から移り住んだ移民であっても、同じだそう。
こんな政府の政策も、この国で人種差別を生まない要因の一つなのでしょうか。

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さて、そんな大人向けの説明が続く間、やっぱり飽きてしまって待合室のおもちゃで遊んで過ごしはじめていた子どもたち。

その様子を見ていた現地の人達は、「これもあるよ」と次々におもちゃを出してきたり、飴を配ってくれたり、ビデオをつけてくれたり、子どもたちのことを本当によく気遣ってくれました。
子どもたちは慣れないながらも「グラーシアス」とお礼をスペイン語で伝えていました。
(いただいた飴は、びっくりするくらい真っ赤な色をしており、案の定、舌はまっかっか!!
日本では味わえない不思議な味に子どもたちは「イチゴだよ」「スイカだよ」と話していましたが、結局分からずじまいでした… 笑 )

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1時間ほどの施設見学が終わり、大きな中庭に移動をして昼食となりました。
並べられた机はピースボートの参加者の人数より明らかに多い!紅白に飾り付けられた椅子が並んでいます。
日本側とベネズエラ側で互い違いに座ることで交流の機会を深めようと、現地の方が工夫してくれたのでした。

子どもたちも、中庭にあるブランコ、アスレチックでもう一遊びが出来て嬉しそうです。

食事は自分たちで取りに行きますが、全て盛り付けをしてくれるのでまるでホテルのレストランに来たかのよう。
ラテンアメリカのあたたかさでしょうか、今日は本当に、色々な場面で、私たちを心から歓迎をしてくれていると言う気持ちが伝わってきます。

食事はベネズエラの伝統料理(クリオージュ)でした。
お肉、ご飯、黒豆、チーズ、バナナの焼いたものというメニュー。
はじめは恐る恐る口にしていた子どもたちも「食べられる!」「おいしいかも!」と言ってモリモリ食べていました。
(早々と隣のテーブルに並んでいるチョコレートホンデュを発見したりんくんとみーちゃんは、食事もそこそこにホンデュを楽しんでいましたが・・・。 笑)

食事が進む中、少しずつ隣の人との交流が始まりました。
言葉が通じない分、ジェスチャーや表情で何とか伝えようとする姿。
お互いの努力が、みんなを笑顔にさせていました。

今回のツアーの最年少のひなちゃんはベネズエラの子どもたちにも大人気でした。
食事が終わるやいなや「いっしょに写真とろう」と声を掛けられ、一人と撮っているうちに、またもう一人。
次々に現れ、順番を待つ子どもたちの列が出来てしまうほどでした。

にこにこして写真を取られているひなちゃんも、最後は、さすがに少し苦笑い。
でも、それもいい思い出ですね。

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食事の後は、子どもたちは再び外で走り回ったり、汗だくになりながら遊んでいました。
正面から一緒に「遊ぼう」と誘いに来られると一歩下がってしまいがちな様子でしたが、少し時間がたつと、気がついたら棒を使って「戦いごっこ」をしている6歳のりんくんや、ブランコで背中を押してもらい嬉しそうなたっくんの姿が。
子どもはこんな風に、自分たちなりに少しづつ距離を縮めていくのですね。

その頃、大人たちのほうは、剣玉交流が盛り上がっていました。
一度やっただけでも意外と上手に出来ているベネズエラの人達に拍手喝采です。

そして、ベネズエラの子どもたちの「コルメニータ」という劇団が、カラフルで可愛い衣装を着てダンスや劇を見せてくれました。

鮮やかな色合いの衣装と子ども達の笑顔がとても素敵!
この衣装は全て自分たちで手作りしたそうです。

さあお次は、ピースボートの子どもたちによる「パンダ体操」のお披露目!!
・・・の予定だったのですが、急遽、停電をしているとの事で音楽を流すことができず、南京玉すだれに変更となりました。

「あ、さて、さて、さては南京玉すだれ」の掛け声は繰り返しなので覚えやすく、ベネズエラの人達も何とか覚えようとそれぞれ口ずさんでいて、とっても楽しそうでした。

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宴もたけなわ、さあ停電も復活したということで、やっと子どもたちの出番です!!

思ったよりも大きなステージだったので気後れして「上がらない」なんて言い出すかな~、と先生は心配していましたが、いえいえ、先頭をきってステージのど真ん中に降り立つ子どもたち!!
目の前に座ってみていたベネズエラの子ども達も思わず一緒になって踊っていました。

最後はみんなでステージに上がってベネズエラの歌を大合唱となり、なんともいえない一体感に包まれた雰囲気と、子どもたちのいい笑顔が最高でした。

最後には、子どもたちはお土産を大きな袋いっぱいにもらいました。
中にはプロペラを輪ゴムで飛ばすおもちゃが入っていてその遊び方を教えてもらったり、大喜び。
今日は帰る直前まで、国際交流を存分に楽しんでいた子どもたちでした。

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2日目の夜は、ラグアイラに停泊中のピースボート船上で、ベネズエラの音楽教育プログラム「エル・システマ」に学ぶアンサンブルグループがさよならコンサートを開いてくれました。

ベネズエラの伝統音楽に始まり、クラシック、ジャズなど、様々なジャンルを演奏。
みんなでうっとりと聴き入って、素晴らしい時間となりました。
さあ、次の港は、パナマ。
そのまま、ニカラグア、グアテマラ、メキシコと続きます。
情熱的で、あたたかいラテンアメリカの旅は、まだまだはじまったばかりです・・・

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