TEDxKids@Chiyoda登壇しました!

TEDxKids@Chiyodaに登壇したときのトーク映像をアップしていただきました。

(このとき、他の登壇者のトークはもちろんのこと、
スタッフの方々がステージのオブジェとして作っていた
子どもの視点が体験できる巨大な椅子とテーブルのアートに感動しました!)
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学び多き一日でした。
映像のリンク 、良かったらご笑覧くださいませ。

長い文章だけを読むより、写真もたくさん使った映像を見ていただいたほうが!
と本当なら強くおすすめしたいところですが、最後ちょっと早口になっていたりして恥ずかしさもあり・・・。

以下、原稿も載せてみました。笑
話して伝える、って、永遠に難しい作業です。

Re-discovery of Children – Childcare as a Way to Peace Building
「子どもの再発見: 平和運動としての保育」

ピースボートの小野寺愛です。

年に3回地球一周の船旅をコーディネートするNGO「ピースボート」のスタッフとして、平和教育・環境教育のプログラムをつくる仕事をして10年になります。自分自身が母親になってから、小さな子ども時代にこそ地球を旅してほしい、小さな子どもたちが安心できる環境でノビノビと育つことこそが平和への一番の近道だ、と思うようになり、船の上にモンテッソーリ教育の保育園をつくりました。世界で初めての、地球一周×モンテッソーリ教育のコラボレーションです。

平和づくりのために保育、と聞いて、ピンとこない方も多いかもしれません。でも私は、世界平和という夢のために幼児教育を選びました。子どもの自然な育ちを邪魔しないことこそが平和への道であると考え、今日は「子どもを再発見をする」というテーマでお話をさせていただきます。

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その前に、なぜ今子どもを「再発見」しないとならないか、皆さんと一緒に世界の状況を確認させてください。

今、世界には、70億人のひとが住んでいます。2030年には90億人になると言われていますが、今の時点ですでに、8人に1人が飢えています。

過去10年で200万人以上の子どもたちが、紛争で亡くなっていきました。今も、30万人にのぼる子どもたちが、子ども兵士として戦場にいます。

アマゾンの熱帯雨林は、毎月、東京都ひとつ分の面積を消失しています。このまま温暖化が進み、世界の平均気温が4度あがったら北極や南極などの氷が溶けて海水面が上昇し、東京もニューヨークもロンドンも水没すると言われています。

・・・テレビや新聞では、今世界が抱える「問題」の数々が報道されています。確かに、今、世界には問題が山積みで、私も、地球に生きる一人の人間として、そのひとつひとつに対して自分にできることを続けたいと思っています。ただ、2児の母として、同時にこうも思います。大人が子どもに「温暖化で地球が危ない。紛争も貧困もなくならない。君たちの未来は明るくない」と、ただそれだけ伝えるのは罪ではないかと。

実は、太陽光は、全人類が必要とするエネルギーの1万倍以上の熱を地球に届けてくれています。たとえば、集中太陽熱発電を、広大なサハラ砂漠のわずか10キロメートル四方に設置すればヨーロッパの電力を賄え、30キロメートル四方で世界の電力が賄えます。

世界の軍事費のほんの1割でも削減することができたら、世界中の子どもたちが学校に行けるようになります。軍事費をすべて使うことができるなら、世界中の貧困や食糧、環境問題のほとんどを解決する予算に十分です。

世界は、人間の文明が発達してしまった結果、今ある問題を抱えているのではなく、人間の文明がまだまだ未熟だから、このような状態にあるのです。希望はまだまだあるととらえて、子ども達と一緒に前に進むことこそが、大人の仕事ではないでしょうか。

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年に3回、毎回1000人の人とともに地球一周の船旅をするNGO「ピースボート」に関わって10年、地球を船で7周する中で、世界中の子どもたちの「生きる力」や、貧困や紛争の中にあっても強く育っていた「希望」に何度も出会いました。紛争や貧困などを抱え、背景はそれぞれでも、世界中どこで出会う子どもたちも、どれだけ小さな子でも、みんなビックリするくらいまっすぐに「じぶんでやりたい」「じぶんにはできる」という意思を持っているということにも気がつきました。

子どもといえば、大人や社会から保護されるべき対象としてとらえられがちです。でも、人間の子どもたちには私たちが思っているよりもはるかにたくさんの可能性が秘められているのです。しかも、どこの世界のどの家庭に生まれた子どもにも、等しく。

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考えてもみてください。

つたい歩きしている子どもは「自分はまだ歩けないかもしれない」「転ぶかもしれないし、やめとこうかな」なんて考えずに、何度転んだって、絶対に自分は歩けるんだという確信を持って、努力を続けます。

自分にはできると信じて、そのために猛烈な努力をする。そんな子どもたちの「じぶんでやりたい」という意志をつぶさずに育むことこそが、平和への道です。大人が、子どもたちに先天的に備わったポジティブなエネルギーをつぶさない限り、子どもたちは何にだってなることができます。大人が、子どもを単に保護すべき対象としてでなく、共に未来をつくる仲間としてとらえなおすとき、子どもが成長します。子どもの成長で、周りにいる大人も変わります。そこに私は希望を感じています。

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「子どもの自然な育ちを邪魔しない」。
これが、簡単なようでいて難しいのです。そのためには、まずは私たち大人の中の間違った子ども観や、これまでの教育の常識をとらえ直すところからスタートしなくてはならないからです。

脳に腫瘍がある、という問題を抱えている人がいたとします。その人が医師に相談にいき、医師に向かってもの申す人は少ないでしょう。多くの場合、専門家の意見を尊重し、脳腫瘍という問題を乗り越えるために医師と「共に」努力する人が大半です。

ところが、教育の現場にいる専門家である学校の先生には、みんな平気で文句を言います。教育は誰もが通ってきた道であり、専門外の人であってもそれぞれに「知ってるつもり」で自分なりの意見を持ってしまえる、珍しい分野なのです。子を愛するあまり、よかれと思ってしてきたことが子どもの創造性をつぶしていたり、教育について「わかっているつもり」の政治家がとんちんかんな教育政策を発表したり、現場で毎日子どもと向き合っている学校の先生が保護者からの批判にあい、萎縮してしまい、本来の力を発揮できなくなるようなことが、世界中で日常茶飯事です。

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学校の勉強を頑張って、いい大学に入り、大きな企業に入れば安心・安定・幸せだった時代はすでに過去のものになりつつあります。今日この会場にいる20~40代の子育て世代が育った時代と、今5歳の子どもが30歳になる25年後の社会は、まったく違う場所でしょう。まずそこを認めるところからはじめなくてはならない。私たちが子どもの育ちや未来について「知ってるつもり」のままで接していていいはずがないのです。

子どもの育ちを邪魔しないために、子どもとはどんな存在なのかを私たちが本当に「再発見」するために、ここからは子どもの育ちを4段階にわけて簡単なチェックをしながら、後半のトークをすすめたいと思います。

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●2歳の子どもは、配膳と片づけを自分ですることができる
Two year old children can prepare and clear away their own dishes.

どうでしょう? YESだと思う人?NOだと思う人?実際にはどうか、映像でご覧いただきましょう。

<1歳8カ月の子どもが自分で配膳する映像>
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子どもたちは、赤ちゃんのときからずっと、身近にいる大好きな大人であるお父さん、お母さんのしぐさを見ていて、「ぼくも(わたしも)やりたい!」と思っています。「お料理ってね、こうつくるのよ」 「洗濯物は、こうするの」 と、大人なら言われた順にやってみることもできますが、6歳前の子どもたちは世界のすべてを「体験することによって」理解し、自分の知識とします。

世界中の子どもたちが、2歳くらいの頃から「おてつだい(する)!」 「いっしょ!(にやりたい)」 と言い出します。子どもたちは、自分の成長になにが必要か、自分でしっかりわかっています。にもかかわらず、「あぶないから座っていなさい」「壊しちゃうから、ママがやるからね」と子どもの仕事を全部取りあげる親の、なんと多いことでしょうか。これでは、子どもが「じぶんでできた!」と感じる機会を奪ってしまいます。「あぶないから」「壊しちゃうから」と先回りするのではなく、どうやったら危なくないか、どうしたら壊さずに「じぶんで」できるかを考えるのが、本当の大人の仕事です。

そう思って子どもの目線に立って見渡してみると、世界はあまりに大人中心の目線で形づくられています。台所の流しの高さも、料理や掃除に使う道具も、なんだって大人サイズ。大人だって、自分の背の高さの倍もあるようなキッチンに立とうとしてもうまくいかないし、自分の背丈の半分もあるような大きな雑巾をうまくしぼれるわけがありません。

ピースボート子どもの家には、子どもの手のサイズにピッタリの4センチ四方の雑巾があります。2歳の子でも、なにかこぼしたら、自分で雑巾を取りに行き、子どもサイズのシンクでそれを濡らしてしぼり、テーブルをふきます。自分の靴を自分で洗うのだって、大好きです。小さな靴ブラシと、子どもの手のサイズにあった石鹸、小さなバケツがいつも用意してあって、大人が一度見せたら、飽きずにいつまでも靴をあらっています。子どもサイズの包丁もあり、自分でおやつを切って、友達の数を数えて公平に配膳するのもお手の物です。

三つ子の魂百まで、とは本当によくいったものだと思います。小さいころから「自分のことは自分でする」「みんなのために仕事をする」が習慣になっていた子どもは大人になっても自然とそうふるまうことができるでしょう。

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●4歳の子どもを難民キャンプに連れて行くのは危険である
It is dangerous to bring your 4 year old child to a refugee camp.

どうでしょうか。

・・・私は去年、2歳と4歳の娘と、ほかにも10人の子ども達とともに、ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプを訪れました。地球一周の船旅に参加した彼らに「どの港がよかった?」と聞くと、「ヨルダン!」という答えが多いのが、私にはとても印象的です。

ヨルダンで訪れるパレスチナの難民キャンプでは、いつも、とてもあたたかい人々からの大歓迎を受けて過ごします。子どもが外で絵を描きはじめれば、言葉が通じなくても子どもの人だかりができ、あっというまに仲良しです。自分の明日の食べ物も保障がないような場所で、おいしいデイツの差し入れをくださいます。

受入れ団体のあるお母さんは「東北の震災、大変だったのに、ここまで来てくれてありがとう。追い出されるようにして家を失った私たちだから、東北の人々の気持ちがわかります」と仰いました。子ども達は、そのあたたかさのすべてを吸収しています。

よく、「小学校に入る前の子ども達を地球一周の旅に連れ出しても、記憶に残らないからもったいない」という声を聞きます。でも、本当にそうでしょうか。この表を見てください。

これは、モンテッソーリ教育の創始者、マリア・モンテッソーリが晩年に描いた表で、子どもの吸収力を医学的に観察して図にしたものです。2歳から6歳の子どもたちが持つ環境からの吸収力は、20歳の10倍とも20倍とも言われています。この時期の子どもは存在そのものが「absorbent mind / 吸収する精神」と言われるくらい、良くも悪くも、なんでも「そのまま」環境から吸収します。

大学生が3年間異国に住んでも、必死で勉強しなければその国の言語を話すことは難しいでしょう。でも、6歳以下の子どもが3年間異言語の環境に身を置けば、遊んでいるだけで、母語のようにその言葉を習得します。言語習得はあまりにわかりやすい例なのですが、この時期の子どもが吸収するのは言語だけではありません。優しい人に囲まれて育てば思いやりのある子どもになるでしょうし、自分で選択する機会がたくさん与えられれば判断力がつき、「自分でできた!」の体験を重ねれば基本的な自信とやりとげる力が身につくでしょう。人間の土台となるような力はすべて、この時期なら簡単に身につきます。

実は大学生よりもずっと多感なこの時期に、スーパーで買うパック入りの魚しか知らなかった子と、家族で釣りに行って大小さまざまないろんな魚を海で見て、市場で見ている子とでは、大人になった時の想像力の広がりがまったく違います。「さかな」という単語を聞いて広がるイマジネーションの土台が違うのと同様、「イスラム」と聞いて戦争しか思い浮かばないか、コーランの優しい響きやデーツの甘さ、博愛主義のあたたかい笑顔が浮かぶかは大きな違いです。

差別の気持ちも偏見もない小さな子ども時代に、異なる肌の色、言語、食べ物、建築物、さまざまな動植物に親子で出会い、親子で感動すると、「We are all different and that’s why the world is so beautiful /みんな違って、みんないい」が自然と身につくのだということを見てきました。世界の多様性を楽しみ、背景の違う人の気持ちに寄り添うことができる親子が増えることは、なによりの平和構築だと思っています。

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●小学生には、年齢ごとにわけられたクラス、時間割や成績表、習いごとが必要である
Elementary school children needs single-aged class, fixed schedule, tests, and grades.

どうでしょうか?ここにも、私たちが19世紀からひきずってきた思い込みはないでしょうか?

時間割も成績表も学年もなく、「Natural learning / 自由な学び」を尊重された場で学ぶ子ども達の生き生きとした様子、ご覧ください。

<米国のモンテッソーリスクールの映像>

異年齢クラス、自分のペースの学び、校外学習奨励、多文化の尊重を大切にするモンテッソーリスクールの卒業生に、GoogleやAmazon.com、ウィキペディアの創始者がいることは偶然ではないと思います。セレブの社会貢献活動に火をつけた故ダイアナ妃も、モンテッソーリ教師でした。

私はモンテッソーリが答えのひとつであると思って活動していますが、もちろんそれがすべてではありません。日本にも、私立の「きのくに子どもの村学園」や、公立学校の長野県伊那小学校など、文科省のカリキュラムをこなしながらも「通知表なし、固定の時間割なし」で、動物の飼育、大工仕事、風力発電機の発明など、子ども達が自由に学ぶことを保証されている場があります。

言うまでもなく、これらの学校は一握りの大人たちが思考停止から脱出し、住みたい未来のため、一歩踏み出してはじめたことです。私も、今は幼児教育に取り組んでいますが、子どもの成長と共に、自分の住んでいる地域の小学校を先生と一緒につくることにも取り組んでいきたいと思っています。地球一周の船にも、小学生が夏休みに参加できるプログラムを作りたいと思っています。
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●中高生といえば、「部活」、「受験」、「反抗期」である
“Teenage children: Afterschool clubs, mid-term and final exams, and rebellious phase”

さあ、これで最後です。どうでしょうか。

中高生とはどんな存在で、彼らの育ちをいちばん「邪魔しない」学びの場とは、どんな場所なのでしょうか。

さきほどの球根のような表を思い出してください。

『この世界はどんな場所なんだろう』と探求する新生児~6歳までの幼児の時期に吸収力が最大になっていましたが、思春期にもまたふくらみがあります。モンテッソーリはこの時期を「社会的新生児」と呼びました。自分の社会の中での役割はなんだろうと模索するこの時期、また周囲からの吸収力が増大します。

女の子は胸がふくらみはじめ、男の子は声変わりがあるようなこの時期は、「私は何者なのか」と社会の中での自分の役割を模索する時期でもあります。それがみつからないのは、苦しいものです。一般的な公立学校ではこの時期の素晴らしいエネルギーを押さえつけるために、部活や受験などひたすらに打ち込むもの、努力すべき対象を用意しています。でも、本当にそれでいいのでしょうか。

モンテッソーリスクールではこの時期、寄宿制の農場学校に入り、友達とともに炊事・洗濯・掃除・畑仕事・動物の世話などを分担して生活します。自分たちで食べる以上に育った野菜は地域のファーマーズマーケットに出したり、親や見学者が森の中にある学校に泊まりにくるときのためにつくったB&B(民宿)の運営も、生徒たちで行うなどして、小さな単位で経済を体験します。その民宿を建設する図面を描くところから生徒達が行いますし、マイクロファイナンスでケニアの女性を支援したり、近隣に住む先住民コミュニティーの工芸品を販売するウェブサイトを立ち上げたりなども、授業の一環で行います。

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幼少期に安心できる環境で「自分でできた!」の体験を重ね、小学校時代に自由な学びが保障される環境で育ち、思春期に仲間と共に小さな社会の中での自分の役割としっかりむきあうことができると、高校を終える18歳くらいには自然と、世界の中で自分には何ができるのか、社会的存在としての自分の役割について考えるようになります。 …私もまだまだ勉強中ですが、モンテッソーリさんはそう仰っています。

ピースボートで働いて10年間、この世界が少しでもより良い場所になるようにと、世界中から船に講師や留学生を招待し、大人向けの平和教育・環境教育の企画を何百本とつくってきました。それはそれで大事な仕事なので、今後も続けていきたいと思います。

一方で、子どもをしっかり観察し、それぞれの育ちに応じて発達の邪魔をしない環境をつくることそのものが平和作りである、「平和運動としての保育」という発想にも、共感していただけたら嬉しいです。

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子どもがもともと持っている素晴らしいものを邪魔せず育む。

そのために、大人になすべき仕事はまだまだたくさんあります。

・・・そうはいっても、結局のところ、世界一の教育者よりも、世界一の平和活動家よりも、世界一のお母さん、世界一のお父さんが偉大だと思っています。

子ども時代に十分に愛され、受け入れられた子どもは、それだけで人生が半分成功しているのです。

大人になった時に十分に愛し、受け入れることができるようになるのですから。

「子どもの再発見」、そしてその存在をまるごと受け入れ、愛すこと、一緒に頑張っていきましょう。
ご清聴、ありがとうございました。

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